Chihoのちょっとした話

 

【選手たちの死】


カジノ時代のラウリ・アウス
 昨年から、選手の死亡ニュースが多い。デニス・ザネッテ(イタリア、ファッサボルトロ、病死)、アンドレイ・キビレフ(カザフスタン、コフィディス、レース中の事故死)、ファブリス・サランソン(フランス、ブリオーシュラブランジェール、病死)、ラウリ・アウス(エストニア、AG2R、事故死)、ホセマリア・ヒメネス(スペイン、病死)。

特に、忘れられないのがラウリ・アウスとホセマリア・ヒメネスの訃報の知らせでした。ラウリは、あまり有名な選手ではないけれど、とても気さくで、会うたびに声をかわすほど、私にとっては馴染みの選手でした。その彼の死を知ったのは、昨年のツール・ド・フランスの途中での事。母国エストニアで、トレーニング中にトラックに轢かれたとの知らせが入ったのです。相手は、酒気帯び運転でした。翌日、ラブニュー監督は、目に涙をためて、インタビューに応えていました。スタッフとも仲が良く、エストニア語を教えてもらったのを思い出します。最後に話をしたのは、かれこれ3年ほど前になるでしょうか。「腰の調子がちょっと良くなくって…」と、苦笑いしていました。もうあの笑顔を見る事は、できないんですね〜。

 次に、昨年暮れに入ってきたホセマリア・ヒメネスの突然の死。彼は、私とHISAKIこと万里ちゃんのアイドルでした。それは今から、6、7年前にの話です。私たちの間で彼は、「ヒメ様」と呼ばれていました。「ベッカム様」という言葉が登場する、かなり前のことです。もちろん、女性ファンが多く、いつも投げウィンクをしているそんな印象があります。山岳を上る姿は、見とれるほどカッコ良かったんです。
そんな人気者の彼でしたが、ここ数年うつ病で自転車界から離れていました。でも、またいつか解説者とかレースの運転手とかで、ヒメ様の姿が見られるだろうと期待していたのですが、その望みも空しく、12月7日、心臓発作で亡くなりました。享年32歳の若さでした。

 98年ツールでのヒメネス


98年マイヨ・ジョーヌのパンターニ
34歳でこの世を去った

 そして、昨日インターネットでフランスのラジオを聞いていて、耳を疑いました。「パンターニの死去」 まさか!
すぐさま、フランスの自転車サイトを観ると、パンターニの写真が出ていて、「14日の夜、住まいにしているホテルの一室で、ジーパンに上半身裸で、ベットの横に倒れているのが発見された」との記事が出ていました。

98年、ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスの総合優勝を果した、偉大なグランパーであるマルコ・パンターニが、死んでしまったのです。ツルツル頭で、「海賊」と呼ばれていたあのパンターニが…。ここ数年は、ドーピング問題で揺れていたけれど、彼の人気は衰えていませんでした。ベルギーのレースに出場した彼に、観客が熱狂していたのを覚えています。昨年のジロにも出場し、14位で終わっています。
ただ彼も最近はうつぎみでした。5日前にこのホテルに来てから、食事の時しか人と顔を合すことがなく、食事も部屋で取ることが、多かったようです。携帯電話も持たず、全ての人との接触を遮断していたとのことです。

ヒメネス、パンターニ、有名なグランパーたちがうつになり、亡くなってしまう。これは、ただの偶然なんでしょうか?98年のフェスティナ事件から、ドーピングについては、どんなスポーツよりも厳しくなっています。ただ、ドーピングに頼ってしまう選手やドーピング疑惑が出た選手の心のケアーについては、不充分なんじゃないでしょうか。ドーピングの組織化が明るみに出たのに、選手だけが追い詰められている現状を、もう1度考え直すべきだと思います。パンターニやヒメネスだけではなく、うつになりやすいナーバスな選手はまだいるのではないでしょうか。ドーピング問題に関わらず、スランプの選手のケアーについても、これから問題になってくるでしょう。

「40年経った今でも、コッピのことが語られる。だから、パンターニは40年先も、語られるだろう」と、チームメイトだったガルゼッリは言っています。

パンターニは、永久に自転車界の英雄です。

追加:死因は、心臓発作ではないかと言われています。

Photo&text CHIHO
2月16日

Copyright © 2004 Chiho IWASA


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