DIMANCHE 25 FEVRIER 2001 

 

 

【ツール・メディテラネアン】

2月14日から18日まで南フランスで行われたツール・メディテラネアンに、阿部選手(コルパック)が出場した。

第1ステージはいきなり山岳コースだったため、1月26日からイタリアでの活動を開始した阿部選手にとってはかなり不利なコースだった。レースはゴール手前6キロの上りでL・ブロッシャールがアタックをかけ、D・レベリン(イタリア、リキガス)、I・バッソ(イタリア、ファッサボルトロ)、D・モンクティエ(フランス、コフィディス)がついて行く。ブロッシャールは途中で脱落し、3選手の戦いとなった。結局、このレースを制したのは、バッソだった。2位に同タイムでレベリン、6秒遅れでモンクティエが入った。「僕のチームのエースで、3年前にこのコースで優勝したフランチェスコ・カサグランデが、最後の1キロで前に出て、勝つためには最後のカーブで先頭にいなくてはダメだと僕に教えてくれた。だから、僕は率先して行動に出たんだ。この優勝はとってもうれしいよ」とバッソは語った。総合成績は、レベリンが4秒遅れで2位。

翌日の第2ステージは、R・マキュアン(オランダ、ドーモファームフリット)がスプリントで勝利を手にした。総合上位の成績は変わらず、トップはバッソ。阿部選手、この日は35秒遅れの105位。

16日の第3ステージは、ベテランスプリンターのJ・キルシプー(エストニア、AG2r)、J・スボラダ(チェコ、ランプレ)をさしおき、もうすぐ23歳になるJ・カスパー(フランス、ラ・フランセーズデジュ)がスプリントを制した。阿部選手は26秒遅れの128位。

17日は午前と午後に渡って2つのステージが行われた。この日、私は第4ステージのゴールと第5ステージのスタートとなるベズィエーにレースを観に行って来た。第4ステージは、集団スプリントでバルドゥッチ(イタリア、タッコニスポーヴィニカルディローラ)が優勝。ゴール手前のカーブで落車が発生し、総合トップでリーダージャージを来ていたバッソが巻き込まれ、頭から血を流してうずくまっていた。10分くらい地面に座ってじっとしてたバッソだったが、応急処置で頭に包帯を巻き、再び自転車に乗りゴールを目指した。阿部選手は、グルペット(遅れた集団)でトップから10分50秒遅れて158位でゴールした。160位でゴールしたD・ナゾンは私の目に入ったのに、阿部選手の姿は発見できなかった。あ〜ぁ。レース後、阿部選手に会って話を聞くと、練習中の走りが評価され、急遽このレースへの参加が言い渡されたとのことで、「練習がてらに参加してます」と言っていた。でも出走番号は、エース級の一番最初のナンバー。コルパックが阿部選手にかける期待の現われかな?周りの選手を見渡してもシーズン始めなので、まだ調子が乗っていない選手が多く、練習がてらに参加という選手は多いようだ。

午後からの第5ステージは、これまたゴールスプリントとなり、キルシプー(エストニア、AG2r)が今季初優勝を手にした。総合トップは、午前の落車で負傷したバッソが出走しなかったためD・レベリンの手に渡った。

18日の第6最終ステージは、キルシプーが2ステージ連続でスプリントを制し、総合優勝はレベリンが獲得。阿部選手は、22分8秒遅れの総合131位でこのレースを終えた。

コルパックで走る阿部選手

 

【オチョア続報】

15日、練習中に事故に遭ってこの世を去ったリカルド・オチョア(スペイン、ケルメ)が、20日ベランゴで埋葬された。双子の兄弟で同じく事故に巻き込まれたハビエ(スペイン、ケルメ)も昏睡状態の重傷である。

この事故現場は、高速道路への連絡道路に近く、日ごろからスピードを上げて走る車が多く、危険な場所だったが、アンダルシア地方に練習に行き、家があるマラガに帰るにはこの道を通るしかなく、オチョア兄弟にとっては、いつもの通りなれた道だった。しかし、1台のボルボが2人を襲った。リカルドは事故から約30分後、病院へ運ばれる途中で息を引き取った。

昨年までチームメイトだったロベルト・エラス(スペイン、USポスタル)は、この突然の訃報に精神的ショックを受け、18日にスペインで行われたルタデルソルへの出場を取りやめた。

スペインでは、ここ3年、3日に1人の割合でサイクリストが亡くなっており、この悲劇に対して、P・デルガド、M・インデュライン、J・ムセウ、P・トンコフ、F・エスカルティンなどが、24日マドリッドに集まり、サイクリストの安全性を訴えるデモを政府に対して行った。

 

【ツール・ド・ランカウイ】

18日、12ステージに渡ったツール・ド・ランカウイが終了した。第8ステージから山岳コースとなり、それまで総合1分18秒遅れの22位につけていた飯島誠選手は、3分21秒遅れでゴールし、順位は38位(4分1秒遅れ)に下がり、それまでアジアのトップだったが、一気に3位にまで下がってしまった。レースは、P・ランフランキ(イタリア、マペイ)が優勝した。
第9ステージも、山で30キロにわたる上り。このレースは、前日と同じくランフランキが獲得した。飯島選手は9分38秒遅れの32位でゴール。前半活躍したJ・コエルツ(オランダ、メルキュリー)は、ゴールしたがタイムオーバーとなり、このレースを去った。
第10ステージは、26、6キロの個人タイムトライアル。オネイル(オーストラリア、パナリア)が29分18秒でゴールし、このステージの勝者となった。トップから2分43秒2遅れて飯島選手は24位に入った。総合は14分02秒遅れの27位。
第11ステージは、集団ゴールでP・ベッティーニ(イタリア、マペイ)が勝利した。飯島選手は同タイムの14位に入ったが、総合成績は変わらず。
第12最終ステージは、コロンナ(イタリア、カンティナトロ)が優勝し、飯島選手は同タイムの23位。総合優勝は、第8、9ステージの山を制したP・ランフランキ(イタリア、マペイ)が獲得した。

日本人の総合成績

26位 

飯島誠 14分2秒遅れ

57位 

広瀬敏 28分40秒遅れ

62位 

田中光輝  31分39秒遅れ

 


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