MERCREDI 11 AVRIL 2001 

 

ゲント〜ヴェヴェルゲム

4月11日、今日も空は曇りで、風もキツイ。気温は10℃。ツール・デ・フランドルでは体調を崩し、下痢状態だったと言う三船選手も今日は回復して出走だ。ゲントからヴェヴェルゲムの215キロで行われたこのレースは、風のため前半から落車が続出。去年の覇者、ファンボンド(ベルギー、メルキュリー)はスタートしてほどなく、落車に遭い病院へ運ばれた。

ゴール手前66キロ地点、20%の石畳の登りケメルベルグをペールス(ベルギー、コフィディス)とネイス(オランダ、ラボバンク)が先頭で通過した。この上りの入り口で、プランカールトが止まり集団は分裂する。このあと、ヴァインシュタイン(ドモ)、ヒンカピ(アメリカ、USポスタル)、マタン(ベルギー、コフィディス)、ザベル(ドイツ、ドイツテレコム)など含む14選手の逃げグループが形成された。ゴール前54キロでミュセーウ(ベルギー、ドモ)がいる集団との差は1分3秒。先頭グループに各チームの有力選手がいるので、集団との差は開くばかり。ここでレースの行方は、完全に14人の先頭グループに絞られた。

最後の難関、2度目のケメルベルグも通過し、残るはゴールまで40キロ。今年も、スプリント勝負に持ちこまれそうだ。ゴール手前19キロ、マタンが動いた。これにヴェセマン(ドイツ、ドイツテレコム)、ファンボン(オランダ、メルキュリー)さらにヒンカピ、ピズイクス(ラトニア、CSCワールドオンライン)がつく。この逃げに乗り遅れた後ろの9選手は、追いかける様子もなく差は開く一方。勝負は14選手から5人に絞られた。

ゴール3キロ手前で、マタンがアタックをかける。これにヒンカピが反応し、他の選手もほっておく訳がなかった。勢いのあるマタンをみんながマークをしている間に、スキをついてピズイクスが動く。意表を付かれた他の選手たちは反応が遅れ、ピズイクスはあっという間に差を広げた。しかし、ここで逃げられてはならぬとヴェセマンが追走する。ヴェセマンに追いつかれたピズイクスは力を落とし、再び振り出しに戻った。マタンを先頭に牽制しあう5人は、蛇のように右や左に動く。ラトニアジャージを身にまとった得体の知れないピズイクスが一番後ろでチャンスを狙う。そのピズイクスが、左のわずかな隙間を見付けアタックをかけた。これに、再びヴェセマンが反応。目前に迫ったゴールに5選手が力を振り絞る。じっとチャンスを待っていたヒンカピがじわじわ上がり、後ろからきたファンボンをかわし僅差でゴールした。しかし、優勝したヒンカピは、後ろから迫っていたファンボンにさされたと思ったのか、自分の勝利が信じられないようだった。でも、勝負に負けたファンボンの方はゴールに入ったとたん、悔しさを表していた。

アメリカ人がこのレースに勝ったのは初めて。ベルギーのこの手のレースを得意とするヒンカピが、やっと勝利を手に入れた。

  【結果】 ゲント〜ヴェヴェルゲム 215Km  
1. J・ヒンカピ(アメリカ、USポスタル) 5時間00分00秒
2. L・ファンボン(オランダ、メルキュリー) 同タイム
3. S・ヴェセマン(ドイツ、ドイツテレコム) 同タイム
4. A・ピズイクス(ラトニア、CSCワールドオンライン)  同タイム
5. N・マタン(ベルギー、コフィディス) 同タイム

【千穂のちょっとした話】
ファンボン、ヒンカピ、ヴェセマン、マタン、ピズイクスら5選手の最後3キロからの争いは、元気のいいマタンが行くか、スプリンターファンボン&ヒンカピが行くか、それとも謎のピズイクスか?誰が勝ってもおかしくないメンバーだったので、とてもスリリングでした。スプリントになるとファンボンかな〜と思っていたのですが、意外にもヒンカピが取りました。実は、彼もスプリンターだったんですね。日曜日のパリ〜ルーベ、これでヒンカピも有力選手の仲間入りです。今年のパリ〜ルーベは連日の雨で、コースがかなり荒れているようです。これは、レース展開もかなりあれるだろうなぁ。98年のミュセーウのような大事故が起こらないといいけど。

 

 

 


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