MERCREDI 18 AVRIL 2001 

 

フレッシュワロンヌ

今日のレースはベルギーでも、今までのフラマン地方とは違って南のワロンヌ地方。石畳はなくなり、そのかわりに激坂が続く。なかでも、「ユイの壁」とよばれる坂は車で上るのも困難で、一度止まったら再発進できず立ち往生してしまうぐらいすごい!フレッシュワロンヌはそのユイの壁を3度も通過する。壁を上る選手たちの顔はすさまじい。だから、パリ〜ルーベの次に私が好きなレースだ。

そのユイに初挑戦する選手がいた。じゃじゃ〜ん、三船雅彦選手だ。ベルギーでのレース歴が長いので、てっきり何度か走った事があると思っていたら、このレースへの参加は今日が初めてとのコト。「今日が、最初で最後やわ」とレース前に言っていた。そんなぁ、来年もいっちょ参加してくださいよ〜。チームのエース、ファンハックは今日も調子が良いもよう。

気温5℃、去年の覇者カサグランデ(イタリア、ファッサボルトロ)やハシゴから落ちケガをしていたジャラベール(フランス、CSCワールドオンライン)、今好調のボーヘルト(オランダ、ラボバンク)など、ここ3週間ほどの石畳のレースに出場していたメンバーとはガラリと変わった顔ぶれの選手たちがスタートに立つ。11時すぎ、雨が降るなかフレッシュワロンヌはスタートした。

時折、雪が舞ったり、晴れたりと変な天候だ。レースは、「ユイの壁」2周目ではもう逃げグループができていた。ゴール手前約43キロ、集団のなかほどで落車が発生し、ベッリ(イタリア、ファッサボルトロ)含む5人ほどが巻きこまれたようだった。残り40キロ、バッソ(イタリア、ファッサボルトロ)、パオリーニ(イタリア、マペイ)、ヤクシェ(オンセ、ドイツ)など先頭を走る8選手を追いかけて、デッケー(オランダ、ラボバンク)が集団から一人でアタックをかける。このため、ラボバンク5選手がコースの道幅いっぱいに並んで集団をおさえる。こうなると誰も前にはでられない。逃げたデッケーは2分差近くあった先頭グループに一人で追いついた。30キロ手前で、アタックをかけ集団から飛び出したへルブリュッへ(ベルギー、ロト)も、1人で先頭グループに追いつきゴールを目指す。ゴール手前11キロのアイン峠で、闘志をもやしていたデッケーは遅れてしまい、先頭はバッソ、ヤクシェ、へルブリュッへ、ソラウン(スペイン、バネスト)の4選手に絞られる。集団でボーヘルトやバルトリが加速しようとするが、誰も協力せずなかなかスピードがあがらない。

いよいよ、ラストの1キロ、ゴールの「ユイの壁」だ。自国ベルギーのへルブリュッへがアタックをかけ独走、大歓声を浴びてゴールした。優勝したヘルブリュッヘ、集団に吸収されたら僕の勝ち目はないから、アタックをかけた時にもう勝つつもりだったそうだ。それにこのレースにはヘルブリュッヘの弟レフも出場しており、「アエルツや弟のおかげだよ」と言っていた。

  結果  
1. R・ヘルブリュッヘ(ベルギー、ロト) 4時間50分03秒
2. バッソ(イタリア、ファッサボルトロ) 5秒遅れ
3. ヤクシェ(ドイツ、オンセ) 12秒遅れ
4. ソラウン(スペイン、バネスト) 21秒遅れ
5. D・エチェバリア(スペイン、ウスカルテル)  21秒遅れ

【千穂のちょっとした話】
今日はスタート地点から、直行でゴールのユイまで。今日も雨でうんざりしていたところ、車での移動中に晴れ間が!おお〜、天気が良くなったぁと喜んでいたら、ゴールのユイについたらまた雲が…。う〜、やっぱり私のせい?それで、ユイに着いてこれを書いていたら、あちゃ〜、最初の周回を見逃してしまった。なんてこったぁ。2周目は見逃さずに、早いめに行った。そしたら、雪がチラチラ〜。おぉ〜寒いっ。2周目に三船選手の姿発見。私は一番キツイ坂をすぎた所にいたので、三船さんだ!と見つけてから、写真を撮って、さらに「三船さ〜ん」と応援する余裕までありました。それくらい辛い坂です。分かるかな〜。三船選手集団のまんなかより後ろ目でした。なんとか写真撮れて良かった。ゴールまでは90キロで、3度目の通過まで約2時間以上あるので、プレスセンターでテレビ観戦。最周回、写真を撮ろうと待ってましたが見つからず…。その後どうなったのかは、三船選手の発行するメルマガ「マッサメールニュース」でご確認ください。メールマガジンの申しこみはこちら⇒
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