LUNDI 3 SEPTEMBRE 2001 

 

【GPウエストフランス】

2日、フランスのブルターニュ地方、プルエーでGPウエストフランスが行われた。昨年の10月には、この地で世界選手権が行われ、チミルが優勝するかと思われたが、最後の最後で集団に追いつかれ、ヴァインシュタインが優勝した。昨年のこのレースでは、バルトリが単独で逃げきり優勝している。

14.143Kmを14周するこのレースは、一直線をなだらかに上るティマレクの上りが有名で、ここでいつもアタックがかけられる。今年は、去年の覇者バルトリ、ジャラベール、モローなどのフランス選手、ワンデーレースの王者チミルなどが参加。

サルモン(フランス、AG2r)、マタン(ベルギー、コフィディス)、アールツ(ベルギー、ロト)、ヨンケー(オランダ、ビッグマット)など8人が先頭で残り2周に入る。このうしろに、チミル(ベルギー、ロト)、アルガン(フランス、ジャン・ドゥラトゥール)、ウロー(フランス、ビッグマット)など9選手のグループがあり、ジャラベール、バルトリなどの集団は、35秒遅れで通過した。

ティマレクの上り手前で、先頭と第2グループの差は19秒。第2グループは先頭に同じチームの選手を送りこんでいるので、張り切って追走するわけでもなく、ゴールの順位のためにも、ただ集団には追いつかれたくない一心でたいていの選手たちは走っている。だが、こんな第2グループから猛烈にアタックした選手がいた。パトリス・アルガンだ!先頭グループにいた同じチームのグーベルがこの上りで一気にペースダウンし、脱落してしまったのだ。それを知ってかどうかは分からないが、その加速ぶりは凄まじく、一気に先頭グループに追いついた。実はこのアルガン、8月のレースで、なんと8勝をあげてしている。今まさに、ノリノリなのだ。グーベルと交代にアルガンが先頭グループに入ったので、先頭は変わらず8選手で最終周回に突入。

残り6キロ、最後のティマレクの上りで、5番手からまたもやアルガンがアタック!あっという間に差が開く。マタンとヨンケーが追うが、少し遅すぎて追いつかず、ティマレクの上りを通過した。あとはゴールまで緩やかに下るのみ。しかし、この下りが曲者なのだ。残り1キロで十分にあった先頭アルガンと追走するマタンとヨンケーの差がみるみる詰まり、最後のゴール直線で追いつかれてしまった。こうなれば、アルガンの勝ちは難しく、追いついたマタンが一気に抜き去り、何度も後ろを振り返ってガッツポーズでゴールした。

「アルガンは本当に強かったよ。彼がアタックした時、ポジションが悪くて、すぐに反応できなかったんだ。ヨンケーと逃げたけど、途中で勝つのは無理かな?と思っていた。でも、ヨンケーが追いつく為に必死に走ったから、追いつけたんだ」と優勝したマタン。実は去年のこのレースで、マタンはかなり活躍していたにもかかわらず、バルトリのアタックについて行けず、優勝を逃し2位に入っている。このレース、ヨンケーなしでは、マタンは優勝できなかっただろう。一方、2位のアルガンは「マタンとスプリントになれば、ヨンケーに勝ち目がないんだし、ヨンケーが追わなきゃ、僕が勝てたのに…」と悔しがっていた。

     
1. ニコ・マタン(ベルギー、コフィディス) 4時間30分39秒
2. アルガン(フランス、ジャン・ドゥラトゥール) 1秒遅れ
3. ヨンケー(オランダ、ビッグマット) 1秒遅れ
4. バゲ(ベルギー、ロト) 15秒遅れ
5. アールツ(ベルギー、ロト) 15秒遅れ

【千穂のちょっとした話】
ダントツで強かったアルガンですが、レースとはこういうもんですね。まあ、マタンは実力のある選手なので、勝っても全然おかしくないですけど。このレースのカギとなったヨンケーですが、この時期選手たちは来季の契約を取るためになんとしてもUCIポイントを取りに行こうと、張り切っています。だから、優勝しなくてもポイントを取るために必死な選手もいます。特に来シーズン、フランスのチームは消滅したり、人数が縮小されるので、フランス人や現在フランスのチームにいる選手たちは、来季のチーム契約がきびし〜状態のようです。

今年で消滅するフェスティナに所属しているローラン・マドゥアスは、これが引退レースで、地元ブリュターニュの人々の大歓声をうけて選手生活を終えました。


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