【山岳ジャージがスプリント!】

 今日は、スタート直後からいくつものアタックがかかった。もちろん、アタッカーとして名高いジャッキー・デュランも、アタックを試みたが失敗。49キロ地点で、デマルベ(ベルギー、ロット)と、フォイクト(ドイツ、クレディアグリコル)の2人が逃げ、そのあとマテオス(スペイン、ポルティ)、ムーレンハウト(オランダ、ラ・フランセーズデジュ)、デッケー(オランダ、ラボバンク)が、先頭の2人を追いかけ集団から飛び出し、53キロ地点で合流した。
 集団は、マイヨジョーヌを着たジャラベールがいるオンセチームが引くが、5人になった先頭グループは、集団との差を徐々にひろげ、ゴール48キロ地点で3分43秒の差がついた。この辺りから、フェスティナ、ボンジュール、AG2rなどが、オンセに変わって集団を引き始め、じわじわと先頭グループとの差を縮めていく。この集団の動きに、デッケーとフォイクトはステージ勝利を狙って、先頭グループから抜け出しゴールを目指す。
 逃げた2人はゴール1キロ手前になっても、先頭で走っていたが、うしろから猛烈な勢いでやってくる集団には、どうすることもできず、ゴール450メートル手前で惜しくも吸収されてしまった。ここからスプリンターたちの争いが始まり、テレコムが先頭を引き、ザベル(ドイツ、ドイツテレコム)の優勝かと思われたが、マイヨグランペール(山岳賞)を着たウスト(ドイツ、フェスティナ)が混戦のスプリントを巧みに制し、優勝を手にした。

 マイヨグランペールを着ているものの、ウストはスプリントを得意とする選手だ。山岳賞を手に入れたのも、第1ステージのタイムトライアルで、山岳ポイント地点(短い丘程度の坂)を速く通過して手に入れたもの。ツールの前半は山岳賞だからといって、必ずしも山に強いというわけではない。この第5ステージは、4ヶ所に山岳ポイント(カテゴリー3級:1つ、カテゴリー4級:3つ)があったので、マイヨグランペールはさっそくベッティーニ(イタリア、マペイ)に移った。

 マイヨジョーヌは、変わらずジャラベールがキープ。

  第5ステージ            ヴァンヌ〜ヴィトレ202km 
1. M・ウスト(ドイツ、フェスティナ) 4時間19分05秒
2. ザベル(ドイツ、ドイツテレコム) 同タイム
3. ザニーニ(イタリア、マペイ) 同タイム
4. スティールス(ベルギー、マペイ)       同タイム
5. コメッソ(イタリア、サエコ) 同タイム
  総合成績  
1. ローラン・ジャラベール(フランス、オンセ)  14時間28分25秒
2. カニャダ(スペイン、オンセ)        12秒遅れ
3. アームストロング(アメリカ、USポスタル) 14秒遅れ
4. オラーノ(スペイン、オンセ) 33秒遅れ
5. エキモフ(ロシア、USポスタル) 43秒遅れ

 

【CHIHOのちょっとした話】
 今日はコースが長く、少し早かったので、カメラマンと一緒に車で追いかけるのもけっこう大変でした。車から降りても、ちょっとふらふらしています。レースの状況は、車の中でラジオツールというのを聞きながらチェック。だから、違ってたらごめんなさい。
 ラジオツールというのは、レースを追う車につけることを義務づけられている無線の放送です。ラジオツールでは、メカトラブルや補給などチームサポートカーの呼び出し、アタックした選手の番号と名前、アタックした地点のキロ数、スプリント地点や、山岳地点通過の順位、レースが通過している町名と距離などが放送されます。
 今年のラジオツールは、フランス語、英語、スペイン語です。去年は、スペイン語でなくイタリア語でした。でも、この3カ国語で随時実況されるわけではなく、レースが始まると訳す暇もないのかたいていはフランス語です。

 UPが遅れてしまいました。原因は宿です。予約していた宿に再確認の連絡を入れなかったため、解除されて宿無しになってしまったのです。ツールを追いかけるのに、一番大変なのがこの宿探し。UPどころではなく、急いで宿を探しに行きました。何軒かまわった結果、幸い50キロほど離れた所に、最後の2部屋が残されていました。よかったぁ。今晩は、宿無しにならないうちに確認の電話しなくちゃ。 

 

 

 


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