#1 10 juillet '97 Rochefort et Marennes






























vendredi 11 juillet

215.5km

6eme etape

LE BLANC >MARENNES
































pont mobile de Charente





























Cedric VASSEUR remporte le maillot jaune.
('97 5e〜9e etapes)
(phpto '98 2 aout a melun)































arrive au sprint a Marennes
































La caravane de conserve
de mais
('96 4 juillet a Besancon)











 

 97年7月、私は再びツールを観戦する為にフランスへ渡った。パリに到着してから最初の目的地はマレンヌ。第6ステージのゴール地点である。
 TGVでラ・ロシェルへ出て、ローカル列車で大西洋岸の街ロシュフォールへ。ここまでは今までの旅と同じだった。ただ移動するのみの。

 駅前で自転車を組み立て、荷物を積み(リアキャリアだけだったので安定が悪く苦労した…)。ちほちゃんと合流する予定であるロシュフォールのユースホステルを探し、ふらふらと町中に走り出た。

 海に面したこの街は、建物は白っぽい石造りで、太陽の光を反射してまぶしいさわやかなフンイキをかもし出していた。かと言って、エーゲ海のようなロマンティックさはなく、逆に俗っぽい普通のフランスの街の一つという印象の方が強い。「一応」リゾート地の真似はしてるけど、勝手にやってくれ」と街が言ってるような気がしてくる。

 フランスで自転車に乗り慣れていない私はまずここで苦労した。YH探しをしながらのスロー走行のため、車道の端に出ようにも危なっかしい。かと言って歩道(せまい)をゆくと、15センチくらいの段差が曲がり角のあるたびに待っているのだ。どっちを走るともつかず、結局車道を走ったが、そう決めるまでに激しい段差と無意味に戦ってしまった。

 …私は以前、一ヶ月ほど松葉杖の生活をしたことがあるけれど、そしてささやかだけど障害者の気持ちも分かったような気がしているけど…この段差の激しい歩道は障害者のことは全くもって、考えていないよなあと思う。1,2センチの段差でも、松葉杖の先が引っかかってしまえば転んでしまう。車椅子だって、ガタンと衝撃が来るのをその度に耐えなけりゃならない。いくら車社会だからって、この歩道はちょっとないんじゃないか? あれ?ヨーロッパって、障害者の保護が進んでんじゃなかったっけ??
 私は今まで間違った認識をしてたんだろうかしら?
 「日本より 大人で進んだ ヨーロッパ」。一句、じゃないけどさ。「だから駄目なんだよ日本人はさあ」とかね。 ああ、あんまり考えない方がよさそうだ…。

 

 うろうろした挙げ句、やっとYHを発見した。想像していたのより、裏路地っぽいところにある。
 扉に手をかけると、開かない。?。張り紙を見ると、どうも受付の人がお昼休みらしい。あと3時間くらい…。
 じょーだんじゃないっスよ〜!今ツールのTV中継してるんでしょーっ!?見せろ〜!ちほちゃんにも会わせろ〜っ!そして一人じゃ心細いよー(歩道の段差はそれくらい私にダメージを与えていた)。

 ああどうしようか、と、悩んで自転車と共にぽつねん、としていると、ドアがぎいっと開いた。中から出てきたのは、黒人の少年だった。

 チャンス!「ここオーベルジュドジュネス(YH)?私泊まれるよね??」簡単なそれしか出来ないフランス語で聞く。
 少年の目はぱっちりと開いた。
 「あんたここに泊まりたいの?」ウイ、ウイ。そう泊まりたいの。
 彼はドアを開けてくれた。ああ、よかった〜。チャンスを逃さないでよかった。
 でも、何かこの子変。…ここに住んでいるみたい。住人のような態度…。

 自転車を持ち上げ中に入れる。建物の中は日陰でひんやり涼しい。受付があるけど誰も居ない。入れたは良いものの、ちほちゃんの部屋とかが分からない…。今晩ベッドも空いてるかどうかも分からない。
 男の子はさっさとどっかへ行ってしまったし。
 とりあえず自転車をどこかに止めておいて、食堂に勝手に入ってTVを見ようと思い、中庭に出て鉄階段の下に自転車をロックしようとした。その時、さっきの男の子が3人ほど子供らと一緒に、遠巻きから私に声をかけてきた。
 「何してんの?」
 見りゃ分かるでしょ。「んーと、自転車を…こう、停めるの。鍵かけて。」
 「何で自転車持ってきたの?」
 はい?「んー、シクロツール(自転車旅行)…。ツールドフランスと一緒にね…」
 「しんじらんない。」

 そう言って彼らはどっかへ行ってしまった。
 「しんじらんない。」の響きは、洗濯物の翻るその中庭で空虚に私の心に響いた。日本のコギャルに「しんじらんない」と言われるよりも、なんだか妙にショックだ。
 何をやろうと私の勝手じゃ。そう開き直りたかったのだが、居心地の悪さから、気分が悪いだけになってしまう。何でだろう。

 「まりちゃん!」と日本語が響いた。おお、ちほちゃんでないの!
 よかったー。探す手間が省けた。聞けばすぐ隣の食堂でTVを見ていたという。私も見る見る。マイヨジョーヌがバッスール?誰それ?
 ふう、と安らいで、本当に安らいでTVを見始めたのだった。

 居心地の悪さというのを感じていたのが私だけじゃないと言うことが分かった。
「ねえ、このYH出てどこかホテル探そう」TVを見ながら、ちほちゃんがそう言った。「…やっぱり…?」
 中庭に翻る洗濯物。自宅のような振る舞いの子供たち。食堂に散らばる皿やコップやシリアルの箱。暗い感じの室内。まるで他人の安アパートに入り込んでしまったような空気…。
 ちほちゃんは私との待ち合わせの為にこのYHに2,3日前から泊まっていたのだが、それで既にもう耐えられなくなってきたらしい。

 フランスの人々のヴァカンス期間ははやたら長いけど、始まったばかりである。こんなに住人としてそこに居たという気が建物に染み込むまでには、普通のヴァカンスを過ごす人々としては早すぎる。ある程度の生活レベルを持った人々は、少なくとも公共施設の中庭に洗濯物を干すことはしない。
 わたしを「からかった(?)」子供たちの、だらしなさめで金のかかっていない服装や髪。そして、気のせいかもしれないけど多分気のせいじゃない、「部外者を嫌う目の光」…。
 このYHにはジプシーが住み着いているのでは、と私は感じていた。

 私はフランスで自転車を盗られたことがある。
 それも2回もあるのだがその1回目は、昨年の夏、同じようなYHでだった。ドールという、ディジョンとブザンソンの間ぐらいに位置する街のYHでである。
 そのYHに初めて入った時も、入口わきのソファに座った少年に、あの黒人の少年のように「じっ」っとこちらを見つめ上げられたのを覚えている。
 部屋を取り入ってすぐに、開いていた窓からロケット花火を打ち込まれた。外に出て周りを見渡すと、目が合った瞬間に一人の少年が窓の中に身を隠した。暗くてじめじめした曇りの、私がフランスで初めて長距離走行をした日だった。
 敷地内には、汚いコンクリート造りのYHの建物と、その向かいにもう一つ居住舎があったが、その窓際にはびっしり洗濯物が干されていて、色の黒く目の縁取りの濃い、鼻の大きくカーブした大柄な女性が頭に布を巻いていた。
 食券を買って夕食を取りに行くと、太った少年に卑猥な言葉をかけられた。
 次の日の朝起きたら、自転車は無かった。

 同じ雰囲気がある。あそこ程じゃないにしても、これは日が暮れたら分からない…。
 ちほちゃんと私はそのままYHを出た。

 ロシュホールとドールには共通している点がいくつかあると思う。
 一つは、中途半端に観光地であること。
 街自体は地方都市のそばに位置し、中心街は小さいがこじんまりして、雰囲気は良い。商店も奇麗だし、よく整備されている。いわゆる「白人」達も日本人にやさしかった。が、一歩中心地から離れると、途端に裏路地的な、一定階級以下の人間の住まいが広がる。閑散としてひと気が少なくなる。コンクリートの建物が多くなる。そして有色人種が居る…。日本よりも、はるかに人種差別は「根付いている」ということ。階級社会なのだと。

 実際にその中に入ってみて分かったことはつまり、差別するとかしないとか云々と言うよりも、ただ「そういう事実がそこにある」ということだけであると思う。
 また私たち旅行者が危険を避けようと思ったら、「そこにある事実」に足を踏み込まなければ良いだけのことなのである。ただそれだけ…。
 それでも、もちろん危険は降りかかる事だってある。そういうものは本当に不可抗力であることが多いのだから。事が起こったその後で、云々わめいて散らして発散してやることしか出来ないだろう。残念だけど。とりあえず保険には入って…。

 

 翌日ツールのゴール地点マレンヌへ自転車で走り、2人で筋肉痛になった。楽しいサイクリングだった。
 景色は奇麗だった。途中に時刻表の時間が来ないと渡れない可動性の橋や(待たされて体が冷えてしまった)や、城塞の跡地もあった。畑や林を通り過ぎ、いくつかの小さい集落を越えた。
 走って行く毎にサイクリストが増えていく。若い人よりも、圧倒的におじちゃんおじいちゃんが多い。
 やがて吹きだまりのような人の群れが見えた。なつかしい実況放送の声の響きが聞こえてくる。さあ、「実物の」ツールだ!
 ゴール地点は青々としたとうもろこし畑の真ん中で、横にただシャンピオンのでかいスーパーがあるだけという所だった。そんな辺ぴな所に、ごごごと人が一杯だった。さすがツール。どこからともなく人々が集まってくる。
 

 レースは平地だったので、選手らはシュンシュン!と目の前を通り過ぎるだけだったし、ゴール後の選手もうまく見れなかった。
 いまいち選手が見れなかったけど、ツールはこれからまだまだ続くし、まあいいか。と、思いつつ、自転車を止めた所に向かった。

 その帰途において、とうもろこし畑はぺしゃんこになっていた。
 沿道から溢れかえった人波はアスファルトの上に治まりきらず、畑の敷地内に及んだのだろう。
 まみどり色をしたとうもろこしは、泥にまみれて靴跡がついていた。
 続々と帰途につく人々にためらいはなかったように見えた。がさがさ、ぱきぱき、ぐしゃ。
 とうもろこし畑に、立派なけものみちが出来ていた。
 この畑の持ち主がこれを見たら、なんて言うんだろう。ツールだからいいや、って、言うのか?
 私は知らない。「ジュ・ヌ・セ・パ。」

 どうでも良い事のような、そうでもないような。考えても仕方の無い事。私はそこを通り過ぎただけ。ちょっと漠然とした気持ちをもってその年の私のツールは始まった。
 が、その後はそんな事は忘れてしまっていた。ううむ。やっぱりツールは楽しくなくっちゃならないのだ。楽しまずして、何がツールだ。

 何かを犠牲にしてまでも、とまで言うと明らかにオーバーだけど、やはり何かが犠牲になって、楽しいツールドフランスは、ある。少なくとも私にとっては。そんな難しく考えなくたっていいとは思うんだけど。

 

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